【僕が“殴り合い”のリングに上がった理由】

【僕が“殴り合い”のリングに上がった理由】

【丸田さんってブレイキングダウン出てたんですか?】

これ、実は一番よく聞かれる質問です。

僕はその大会で5試合を戦い、
人生で初めて「人を蹴る(殴る)」ということをしました。

 
語弊のないように言っておきますが、僕は喧嘩っ早い人間ではありません。
むしろ、それまでの人生、殴らず・殴られずの人生でした(笑)。

 
それなのになぜ、
僕が格闘技なんて未知の世界に飛び込んだのか。

なぜボールではなく、人を蹴る戦いに挑んだのか?

 
それは、

「自分の枠をはみ出す」
「チャレンジ精神」
「目標を達成する!」

かつての僕が”ずっと大切にしてきたもの”を取り戻すためでした。

 
僕の人生はずっと、スポーツとともにありました。

幼少期にサッカーを始め、
高校ではラグビー部に所属し、
大学ではアメフトのキッカーとしてプレー。

 
卒業後は、安定をかなぐり捨てて、単身アメリカNFLに挑戦。

大手・野村證券のキャリアを手放し、夢を追い続けました。

 
そう、「チャレンジすること」こそが僕の人生そのものだったんです。

でも、ある時から僕は、自分の心の声に嘘をつくようになっていました。

子どものころのように、夢を純粋に追い続けることができなくなっていったんです。

 
ズレていく心….

NFLへの挑戦を終えた25歳。

日本に帰国後、安定した会社員の仕事に就く選択もありましたが、

僕はアメフトのキックコーチとしての道を歩み始めます。

 
きっかけは、かつて書いたこの言葉。

「棺桶でガッツポーズして死にたい」
https://note.com/rugby_kick_coach/n/n7d17f8747f7e

本気で、噓なく、
心からやりたいことをやりきり、

人生の最期に自分に納得し、最後に笑えたら。

そんな生き方をしたいと思ったのです。

 
ですが、

志を持って飛び込んだプロコーチの道。

気づけば僕は、また横道に逸れていました….

呼びかけても人は集まらない。
やっても結果が出ない。

 
そして心の奥底でこう呟き始めます。

「スポーツのコーチじゃ食えない….」

 
夢を語る声はだんだん小さくなり、
現実に折り合いをつけ始める。

いつしか“純粋さ”を失い、
いつの間にか否定する側に回っていく。

僕はまさに、そんな“大人”になりかけていました。

 
自分との矛盾。

自分が言ってること、やってることが、全く一致していない。

いわゆる「言行不一致」

一番ダサいと思っていた生き方を、自分がしていた。

 
「本気で生きろ」
「挑戦しろ」

口では言いながら、
自分は夢をあきらめている。

「ほら見ろ、やっぱりお前の夢なんてうまくいかないんだよ」

かつて周囲の大人たちから言われた声と、同じトーンで、僕は自分自身に呟いていたんです。

 
ちょうどその頃、僕は結婚をしました。

彼女を幸せにしたい。守りたい。
その気持ちは本物でした。

でも振り返れば、
僕は「家族を守る」という言葉を、

挑戦から逃げる“隠れ蓑”にしていたんだと思います。

 
どんどん
スポーツコーチの仕事から距離が遠ざかっていました。

 
そんなとき、
ある出会いが僕を変えるきっかけとなります。

認知科学コーチングです。

認知科学コーチングを学ぶコーチングスクール

Mindset Coaching Academy

その中で出された課題が、

「今までの枠にとらわれず、命をかけたぶっ飛んだチャレンジをしよう」

というものでした。

 
ドキッとしました。

思えば、僕はどこに置いてきたんだろう。
 

子どものときのような、
枠にとらわれない「無邪気な心」

僕はいつの間にか、他人の価値観で世界を見ていた。

子どもの純粋な目を失い、
大人の“安全なメガネ”でしか物事を判断しなくなっていた。

それじゃ「棺桶でガッツポーズ」なんてできるわけがない。

 
だから僕はもう一度、
未知へ飛び込む決意をしました。

「命をかけた戦いの場、
 Breaking Downに出ます」

 
「やってやる!」

格闘技という全く未経験の世界へ。

アメフトのボールを蹴っていた日々から、サンドバッグを殴る日々へ。

 
ただ、、、

練習して初めて分かった。

格闘技は、想像の100倍キツい。

動いている相手にパンチやキックを当てるのは、想像以上に難しい。

それ以上に、

「相手は、点を取りにくるんじゃない。
こっちを“倒しに”くるんだ」

初めて、生き死にの空気を感じました。

 
練習では、

パンチを打てば腕はヘトヘト・・

キックを蹴る度に足は乳酸地獄・・

疲れてガードを下げたらボコボコに殴られる。

相手の打撃を腹にもらえば、吐きそうな鈍痛がカラダを駆け巡る。

脚を蹴られれば痺れが夜中まで残る。

自分より体重の軽い選手に投げ飛ばされ、
地面に叩きつけられ、フラフラになり立てなくなる。

だけどガードは下げたらダメ、顎は上げない、鼻で呼吸をし、闘志は絶やさない。

 
ヒドイ筋肉痛・・・

グローブの腕が鉛のように重く、体のあちこちが痛い・・

毎日のように
格闘技の先輩たちに殴られ、
ボコボコにされ、投げ飛ばされ、極められる日々。

でも、
そんな苦しい練習でボチョボチョに汗をかき、

寝転がって天井を見上げながらこう思ったんです。

「ああ……俺、生きてるな。」

 
大会に向けて、トレーニングだけでなく、減量にもはじめて挑戦。

大会までに15kgの減量に成功します。

 
そして、気づけば運命のゴング

そう、
ついに僕は
BreakingDownのリングに上がっていました。

 
相手は、
ミスター・ブレイキングダウン「川島悠汰」選手。

僕は素人。相手は格上。

力の差は歴然でした。

おそらく見ていたほとんどの人が丸田が負けると思っていたと思います。

代表の朝倉未来さんも、そう思っていたと思います。

 
さぁ、

ゴングの音が鳴り、試合が始まる。

ここで僕には、
一つだけ決めていた覚悟がありました。

「相手が誰であろうと一歩も引かない」
 

理性なんて吹き飛んでいました。

「様子を見よう」なんて発想は一切なかった。

ただ、一心不乱に、
目の前の相手に向かって突進していました。

 
渾身の力で放ったパンチがヒット

相手が後ろに吹き飛ぶーー

 
続けざまに左の膝をボディに差し込む

さらに相手は下がるーー
 
打ち合いになった瞬間、練習してきた技を反射的にカラダが繰り出す。

 
距離はゼロ。

殴るか、殴られるか。

殺るか、殺られるか。

 
次の瞬間、

僕の右フックが、相手の顎にヒット。

「バコンっ!」

当たった瞬間、相手の膝が崩れ落ちるーー

まだゴングは鳴っていない。

 
無我夢中で、川島選手めがけて前に出る。

その瞬間、

レフリーがストップをかけるーー

 
時間にして10秒。

僕は人生で初挑戦した格闘技大会でKO勝利を収めました。

 
ここでようやく会場の様子が見えた。

「その瞬間の写真

朝倉未来さんも、

「え?強っっっ!!」といった驚きの表情。
 

試合後、関係者の驚きの顔をくぐり抜けて、
花道を歩いて控室へ。

控室からトイレへ。

そこでたまたま、
ブレイキングダウンの中心人物の一人・瓜田さんと遭遇します。

 
「あんちゃん、見てたよ。かっこよかったよ!!」

その言葉を聞いた瞬間、

張り詰めていた糸がほどけて、

全身の力が抜け、

気づいたら、トイレの個室で、大声を上げて泣いていました。

 
嗚咽が外に漏れるくらい、感情の底を突き抜けるほど泣いていました。

 
このとき人生で初めて

自分で、自分を誇れました。

 
NFLを目指し、異国の地に裸一貫で飛び込んだあの時のように

「今、自分に嘘をつかずに、生きた」と胸を張れた。

大人の理屈や、常識や、安定じゃなく、

ただ、やりたいことを、やったんだ。

 
自分の決断で、自分の選んだ道を、自分の意志で歩いた。

そう思える”自分”を
この挑戦で勝ち獲ることができたのです。

これは僕にとって本当に大きな経験でした。

 
最後に

僕は、喧嘩で生きていこうとは思っていません。

僕はキッカーです。

キックを武器に、記録をつくり、相手を倒し、自分の限界を超えてきた男です。

これからも、自分のレガシーである「キック」を軸に、

メンタル、身体構造、そしてパフォーマンスを伝えるコーチとして生きていきます。

ここまで自分のことを話すのは、初めてかもしれません。

でも、ようやく覚悟が決まりました。

読んでくださり、ありがとうございました。

丸田 喬仁(たかひと)