オスグッドもアトピーも、膝や皮膚だけの問題ではない。

1月に入ると、
年末のざわつきは
もうどこにもなくて、
それでも、
日常には
まだ戻りきっていない。

今日は1月7日。
娘の小学校の始業式は、
明日です。

ランドセルは
玄関に置いてあるけれど、
まだ背負われていない。


目覚ましも、
少しだけ遅めに
鳴っていました。

最近、
妻が風邪をひき、
僕が7歳の娘の世話を
する時間が増えました。

朝はゆっくり起きて、
一緒に朝ごはんを食べて、
「明日から学校だね」と
何度目かの会話をする。

娘は
休みが終わることを
少し惜しんでいるような、
少し楽しみにしているような、
そんな曖昧な顔をしています。

たいしたことは
していないはずなのに、
一日が終わる頃には、
思った以上に
心も体も、
消耗している自分がいました。

そんな静かな日々の中で、
ふだんは奥にしまっている記憶が、
思いがけないタイミングで
顔を出します。

最近、
オスグッドで悩むお子さんと、
その隣に立つ親御さんを見ていて、

ふいに、
七年前の光景が
重なりました。

いま小学校1年生の娘が、
まだ赤ちゃんだった頃、
幼児性アトピー性皮膚炎で
苦しんでいたときのことです。

夜中に、
かゆくて目を覚まして、
泣いて、
掻いて、血が出て、
それでも
見守るしかなかった日々。

それを、
どうすることもできずに
見ている時間は、
思っていたより、
ずっと、こたえました。

いま、
風邪で横になっている妻のそばで、
娘が静かに
お絵描きをしている姿を見ると、
あの頃の夜の空気を、
自然と思い出します。

「代われるなら代わりたい」

この言葉は、
そのとき初めて、
本気で使う言葉なんだと
知りました。

もちろん、
「どうにかしたい」という気持ちは、
夫婦で同じでした。

ただ、
やり方が違った。

薬をどう考えるか。
どこまで信じるか。
どこで立ち止まるか。

必死になると、
人は、
少しずつ正しくなります。

正しくなりすぎると、
今度は、
ぶつかります。

娘が寝たあとの夜。
テーブルの上には、
それぞれが読んでいた本が
置いてありました。

僕の本と、
妻の本は、
だいたい、
違うことを言っていました。

それぞれが、
それぞれなりに、
「これが答えだ」と
思っていたんだと思います。

喧嘩もしました。

いま振り返ると、
それはたぶん、
娘のことが
いちばん大事だったから
起きた喧嘩でした。

そんなとき、
少し遠くにある、
自然療法を掲げる病院に
行ってみることにしました。

藤澤先生の本

正直に言うと、
半信半疑でした。

ネットで調べても、
情報はあまり出てこない。
評価も、
いいのか悪いのか、
よくわからない。

それでも、
行ってみようと思いました。

理由は、
とても単純です。

このまま悩み続けるより、
動いたほうが、
まだいい気がしたから。

そこで、
こんなことを言われました。

「皮膚の異常は、
 皮膚だけで
 起きているわけではありません」

妙に、
腑に落ちました。

食事のこと。
生活のリズム。
体の使い方。
日々の環境。

症状を追いかけるというより、
暮らし全体を
見直す、
という感じでした。

この言葉は、
いまでも、
僕の中に残っています。

変化は、
すぐには出ませんでした。

でも、
少しずつ。
ほんとうに、
少しずつ。

娘の状態は、
確実に、
変わっていきました。

派手さはありません。
ただ、
ちゃんと、
前に進んでいる感じがありました。

いま、
オスグッドで悩む
小学生や中学生の子を見ていると、
あの頃のことを
思い出します。

オスグッドは、
膝の話のようでいて、
膝だけの話ではありません。

足指の状態。
歩き方。
日々の積み重ね。

全部、
つながっています。

▼詳しくはこちらから

情報は、
いまの時代、
いくらでも手に入ります。

でも、
本質的な改善は、
画面の中だけでは、
なかなか見えてきません。

体を見て、
動きを見て、
その人の暮らしを想像して、

ようやく、
見えてくるものがあります。

今日は、
1月7日。

まだ、
学校は始まっていない。
でも、
確実に、
動き出す前の
静かな一日です。

この少しだけ
止まっているような時間に、
思い出すこと、
考えることがあるのは、
悪くない気がしています。

今年も、
「すぐの答え」より、
「ちゃんと戻る道」を、
一緒に探していけたら
うれしいです。

本年も、
どうぞよろしくお願いします。